〜 令和4年 3月の出来事 〜



3月31日:雨のち曇り
あわただしく過ぎる日々、桃から桜花爛漫へと季節は移ろいました。

毎日繰り返され、綺麗だったウクライナの街が情け容赦の無いロシアの攻撃で壊されていく過程を見てると。正義とは〜何ぞや〜と、日本流で言えば神も仏も無い無慈悲な殺し合いをこれでもか〜と見せ付けられて〜、自分の無力感を痛感してもどうしようもない様相・・・・。

けれど、今から80年前の日本、続く空襲に脅えながらも竹槍で一億総決戦とこぶしを振り上げてた過去を体験した日本。
祝島の墓地を歩くと昭和20年8月14日戦死と刻まれている墓石が散見される。
17名の14〜5歳の若人が光海軍工廠に学徒動員されていて空襲にあって戦死したという。終戦のわずか一日前の出来事だ。昭和天皇の終戦勅語を録音したレコードの争奪の様子を近衛兵だった島出身の人の話を聴きながらドキドキと胸が騒いだこと、思い出したのですが、二度とその話は聴けませんでした。’もう一度と’〜頼んでも話をしてくれませんでした。

母国のためにあくまでも戦うと述べてる人たちが毎日のように映し出されているウクライナ。
良くも悪くも言論統制されている現実、ロ国の大統領には事実の情報が届いていないという。
ウクライナでは隠れ家の地下壕には水も食料も何も無いともいう。「みすみす国民の死を防げない、武器が欲しい」というウクライナの大統領、けれどその武器はロシア兵を殺傷することになる。
戦争と言う名の殺し合い、いつ終着するのだろうか。

日本の甲子園では高校生達がそして応援の人たちも涙を流した。これは嬉しい涙だ。
 ”平和ニッポン” に感謝!。











3月28日:晴れ
:*三寒四温*言葉が菜種梅雨と重なります。
例年〜もこの時期には雨が降っては温くなって来ますが、今年も〜。墓参りに出かけたのですが、道端には草花がビッシリと咲き誇っていました。

”ミサイルが飛んで来る”というウクライナ。砲撃も加わって荒れ果てた町並み。幾年の積み上げた文化が無残に壊されていますが、早く対応が出来ないものでしょうか。
まさか国連の平和維持軍に大砲を向けないでしょうから、一刻も早く分け入って子ども達の命を救うべきだと思いますけど、そんなに簡単に行かない?と言っていたら、かけがえの無い命を失った人にお詫びをしたって基には戻らない、憎しみの連鎖が限りなく続く不幸を、皆んな判ってると思うけど・・・。
ロ国の大統領は平和のために戦ってると支持するロ国の人たちも、可哀そうだですね。


















3月27日:晴れ
昨日の暴風雨を思えば今日は綺麗に晴れ上がった春の日差しいっぱいの青天でした。
着物も一枚減らしたのですが丁度良くって暖房器具も隅に押しやりました。

山肌はまだ替わりませんが、山桜は新芽を出したようで逆光で撮ると桜花爛漫の来春を告げています。二、三日したら一斉に開花します。
桜花下での花見の宴のお許しも半数位出たようですが・・・・。どうなさいますか〜?。
 mコロナ禍は’吹っ飛ばせ’m〜でしょうか?。


















3月26日:暴風雨
昨日25日三便で帰島したのですが、南東からの風波で白井田周りで帰島しました。叶島を過ぎると大きく揺れてちょっとビックリでしたが、乗客の皆さん誰も平気?で何食わぬ顔、船長さんが懸命に操船してましたが、さすが経験を生かして無難な航海でした。

今朝は起き出してみればもう予報通りの天候で雨が降ってました。
東寄りの風だと我が家は安泰?でヘッチャラですが、「不公平だ」と東地区と話すと笑い話になるのですが、集落がどうして祝島の北東地区定まったのかに興味がありますが、弥生時代と言われる遺跡を考えると高地集落からの経緯を書き留めて置くべきだとアドバイスをもらってるのですが、振り返って見れば大筋は見当が付きます。
ボケないうちにとせかされると、まだまだ〜と開き直ってる〜?!

冗談はさておきメモに肉付けしていけば良いので、集落位置だけでなく神舞編も次期規模縮小は必至なので事前準備に取り組まなければならない〜かなと。
”祝島の昔話”を語る会の開催希望も届いているし、けれど最近何かと意欲減退気味なのでここらが踏ん張り所だぞと座り直したら、心がざわついて来ました。











3月21日:曇り
定期船’いわい’が定期検査と言うことで休航中なので代船の金比羅丸が就航しています。来月4日まで〜と少々長めの代船です。毎年この時期なのですがこの時期は大気が不安定で佳く時化ますがこれも仕方ないことですが欠航したりで慌てることが多く、注意が必要です。
22日が通院日なので三便で室津まで渡りました。





3月19日:追加報
とうとう、”百万アクセス”に 到達出来ました。
写真をわざわざ撮って送って下さった方々、心から感謝いたしております。
また、長年に渡り、替わりばえのしない情報を飽きもせずアクセスして下さった沢山の
皆さんが居られたからでありまして、お陰様で高嶺の華を見ることが出来ました。深謝!。

所用やPCの不具合があって掲載が遅くなりました。とりあえず速報します。








3月19日:曇りのち一時雨
昨日(18日)は一日中雨風で何処にも行けなくって家の中で悶々。

時折テレビを点けると、東北の震度6強の被災状況と、ウクライナの戦争に巻き込まれ逃げ回る子供たちと高齢者、どちらも抗する術無き弱者達、飛んでくるミサイルや砲弾では隠れても運試し〜、話し合いではらちが開かないからと武力でと言うのだろうけど、それではこちらも武力で〜となってしまったのではどうしようもない。兵隊を雇って戦争するって正気ではないと判ってても止めようが無い〜とは。
強いものが勝てば良いというのでは、他の生物以下、笑われる話だけど、理性なき権威者は他者の生死にこんなにも無頓着だとは〜。

定期船が欠航、丁度祝島から船が渡航して来たので乗せてもらって帰れたのだけど。欠航の理由はあるみたいだったけど、地震も震源地がわかっても、後の祭りではこれも困った話。

自分も体調不良が高じてきたのだけど、歳の所為だけでは無いみたいだし、これも神様の思し召しで生きながらえるしかないのか〜?!。

横綱照ノ富士が欠場。当分天下かと思ったけど、若手の成長が著しい。












3月13日:曇りのち晴れ
遠くがボンヤリと霞がかかってるようで春の風情になってきました。今年は立春から冷え込んで来てびっくりでしたが、ようやく季節が動き出して来たようです。コロナ禍で花見も自粛して来ましたが、なかなか減らない感染者数ですが、一体どうなるのでしょうか。

ひとり暮しだと急激な体調変化が怖いのだけど、最近不良箇所があちこちと出て来たみたいで「老齢化現象だな?」と思うこと度々〜。
都々逸の”あなた百までわしゃ九十九まで〜”の歌詞が希望だったのですが叶わぬ夢になりました。

昨日、友人からお刺身の差し入れがあって、美味しくいただいたのですが粗(アラ)を水炊きして温くもりながらゆっくり食事をしたのですが、水屋の上の隅の盃と銚子が目に付いたので「オイ、燗をして〜」と言いながら振り向いたら遺影の彼女がニッコリ。
’コップ酒で、たっぷりどうぞ!’と言ったような気がしたのだけど、たっぷり飲めなくなりました。~~;)













3月12日:曇りのち晴れ
6日の’いわい’第3便で島を出て、昨夕の三便で帰島しました。

スマートフォンのライン教室に行ってライン基本?を聴講したり、友だちを登録方法に挑戦、次の日にはリズム体操の三回目。前週をサボったのでちょっと気恥ずかしい思いで教室に入ったのでしたが、皆さんの眼差しが優しいのにドギマギ。まだ汗をかくほど動けないのですが、マァマァ一生懸命〜!!。右肩が先々週頃から違和感があって、お灸と針で治療。すぐ効果があった訳ではないのでしょうが何だか軽くなったようで〜〜^0^)
.で、夜には総合文化センターでフォトサークルの例会。皆さん熱撮の写真を鑑賞しつつ自分のも〜。
次の日はグランドゴルフの練習日だったのですが肩がまたまた痛み出して急遽欠席に〜。
昨日11日(金)は室津上関地区は燃えるゴミ集荷日だったので出して室内の清掃や洗濯物の片付け
したりしてたら三便の出航時間が近づいたので帰島することにして祝島に〜。

今朝には海はベタ凪ぎなので出漁を〜と思ったのだけど、やはり肩にまた違和感が出て・・・。
手を見れば、「カン(寒)バレ」が急に綺麗になって来て何だかこちらは不思議で・・・?。

ふと外を見れば日差しが強まって来たみたい、明るくなって来ました。










3月05日:晴れ
モンゴルで黄砂嵐で日本上空に今日到達とか〜、それに花粉が飛んでるとかの予報。
南予報士の解説ですが、あれっ昨日(4日)も解説されてた?と思ったら先週のことでもう一週間経ったのかと〜。日の経つのが早い。 @@;)

今日も良く晴れて雲がありませんが西風がこれから吹いて来るようです。
「要ご期待!」とは言えませんが、それはそれとして、ウクライナでは大砲やミサイルで歴史あるキエフの建物が被害を受け、国土が焦土化してますけど、大人と子供程に態勢に格差があるのですから、早く収めないと取り返しが出来ないと思うのですが、何とかならないのでしょうか。




3月04:晴れ
リズム体操をすると膝の上辺りが震えます。
筋肉が衰えて来てるみたいなので、坂道や階段を上るとひどく感じます。思えば最近歩き回ることが減ってしまって、それに歩かないで車や単車についつい乗ってしまうのを自覚していながらですから責任は自分で取らなければ・・・・。











干潮で港底が顔を出しました。よく引きました。





3月03日:晴れ
今日も良く晴れて雲がありませんが西風がかなり強く吹いています。白波が風に押されて忙しく西から東(右)へと移動しています。波はあまり高くは無いようですが、釣りには出られません。

ひと昔前は、少々無理しても出れば何かと漁があった(釣れた)のでしたが、最近は出ても釣り果が無いので無理して出漁しても〜という風潮になってしまいました。

帰港した船に「釣れたか?」「種があった」の問答。二、三匹。マアマアで凡そイケス半分位。釣り果を濁すのが常識だった。明日も釣りに行くのだから先回られると面白くないと言うのも有ったからかも。

まだ駆け出しの頃、いっぱい釣れてホクホクで帰港したら、隣に船を係留するおじいさんが「どうだったか?」「マアマア〜」と言えば良いのについ「二、三匹」と言ってしまった。
イケスを覗き込んだおじいさんが「お前も漁師根性になったな」とニヤリ。
後の返答に困ったことを時々思い起こしてましたが、今は逆に一、二匹でもマアマア〜。

これは落語ではないのですが、なんて言えば良いのでしょうか。 ><;)














3月02日:晴れ
静かな夜明けだな〜と、濃霧注意報が出てるみたいだな〜と思いつつ、朝日を追っていたら急に霧が濃くなりせっかくの太陽をすっぽり包んでしまいました。あとワン・シーンをと移動してたら霧のほうが早く太陽を包んでしまって、’ん〜!’でした。
凪だった海面も次第に波立ってきて昼前には白波が一面を覆ってしまいました。














 これは第二便です。



3月01日:雨
弥生三月の幕開けは雨でした。これから三寒四温が繰り返されて暖かさが増し初夏へと移ろう日本の四季。枯れ枝に見えてたのに近づいて観ると蕾が膨らんで来てます。

日めくりの今日の名言カレンダー。キャベツを台無しにした青虫に腹立てて愚痴をこぼしたら近所のおじいさんから返ってきた言葉、「生きてるもんは、みんなちょっとは悪いことをしてるもんよ」と。
モグラもノネズミ、タヌキも「許してやれ」寛大だと。エっ、イノシシも〜。なんてつまらぬこと思った。
この言葉、米ロの大統領に届けたら〜、怒られるかな?。

そしたら、ロシアの攻撃で負傷した女の子が手当ての甲斐なく亡くなったという昨日のニュース。また成年男子は避難せず戦えと言う命令?が出て父や兄と別れたと泣きながらの訴えも〜。
アメリカが参戦したら世界大戦になる〜、ロシアは核兵器を使うかもとか。
こうなると止まることが出来なくなる。勝者は居なくなる。「再び戦争をしない」ためにと出来た国連。
国連さん、こういう時しっかり活動くしなくては〜〜。

昭和20年終戦近く、空襲警報のサイレンに起こされて、祖母に背負われて防空壕が無いので近くの木陰に避難した思い出も幾度か。、三歳半の頃だったのに、対岸が燃えていたのを覚えていて徳山(今の周南市)空襲の時だったのかなと〜?、それは後日談。
墓の参道の途中にその木があって、頭上を覆う木陰でその後休憩した折々、見上げて、この下に大勢が集まってたのだからグラマンの機上から丸見えだったのになぁ〜と。側で母に抱かれてた赤ちゃんだった妹がギャギャ〜泣いてた。まだまだ、今思い出したらいろいろ〜。




’いわい’第2便、東周り(四代)を諦めて西周りで〜。








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