〜 令和4年 8月の出来事 〜



8月30日:晴れ
四代の山の上が赤く朝焼けしました。
天気は台風11号の影響で下り坂で、太平洋側は雨模様のようです。

帰宅してホッとしましたが、これからまた出かけます。柳井医療センター〜〜ドコモショップで故障したスマートホンの故障箇所を仕上げ〜〜リズム体操〜とスムーズに展開してくれると良いのですが・・・・。ハテ〜?!。海は凪ぎ、雲がやや優勢ですが・・・・。

写真があるのですが乗り遅れるとヤバイので〜・・・〜


8月29日:晴れ
天候が安定しませんね。小さな渦巻きでした11号台風、急に発達して大東島を困らせているようですが・・・・。西に向かっています。今度は沖縄でしょうか〜。
海水温が高いというので発達を警戒してましたが、やはり異常気象現象〜?












8月26日:晴れ
23日、スマートフォン受け取る予定で二便に乗って、出航を待っていたら「アッ忘れ物した」でシナリオが変更に〜。
慌てて下船して自船で追いかけました。慌てました。交換するスマートフォンを忘れるなんて〜呆れた話。忘れるかも〜とわざわざ卓上の真ん中に置いてたのに〜。帰宅してみるとその上に新聞が・・・。それにしても呆れた話。 ><;) 

25日、大島病院から室津に帰ったら西風が急に強まって来たので祝島に帰るのを諦めて桟橋係留を延期してもらえたので帰島は26日にした。快諾してもらえてほっとした。

で、今朝は早めの起き出して見ると凪ぎでラッキーでした。
支度して出航したら、柳井港へ向う一便と出会って挨拶替わりにスナップを・・・・。

柳井港へ向う一便と出会って挨拶替わりにスナップを・・・・。
後方に町役場新庁舎

四代の押し昇りを過ぎたら祝島が見えます。



↑ 祝島東集落  ↓ 西集落



8月23日:晴れ
二階から眺める風景は今日も相変わらずです。
漁船も動かず、レジャーボートも眼前の海には皆無です。
「釣れないナ、魚」と言っても、釣れない物は釣れない〜と。
乱獲かと思っていたのですが、地球規模の大気の変節だとすれば簡単には進展は図れない。

スマートフォンの故障というハプニングへの対応能力〜、つくづく能力低下を感じました。
自分では解決出来ないことが多くなって、これからが思いやられます。

明日、明後日と通院なので二便で出かけます。土曜日27日に俳句会が有るので一旦帰島したら、またトンボ帰りになるので、ちょっと悩みです。










8月22日:晴れ
静かに夜が明けました。雲も次第に薄くなって青空と交代しました。
ここのところ、凪ぎ続きで猛暑を競い合っていますが何時涼気が主流になるのでしょうか。

そうした中、甲子園の熱戦は仙台育英に軍配が上がりました。
久しぶり表彰式の感激も味わいました。懸命の姿を見ると私の生き様はこれで良いのかとつい自問してしまいました。
生活のテンポがオンチ?。一周忌の片づけがスムーズに捗らない?。
「歳相応にしたら良いよ」と慰められているのだけど〜。











8月21日:晴れ
間もなく夕暮れです。夕焼けが見れるかなぁ〜と心待ちしてたのですが・・・・・。

昨夕20日帰島したのですが、スマートフォンが突如使え無くなってあわてました。
どうしても起動できないので知人達にも協力頼んでも動かなくって・・・・。トホトホト・・・・。

今朝、このまま使えなくっては〜どうしようもないなぁ〜と意を決して(ちょっとオーバー気味〜?)ショップ店に行くことにして第一便に飛び乗って、そして柳井店へ。
生憎の日曜日、店に入るなり「予約は〜?」。「してない」というと「しばらくお待ち下さい」となった。「今日はもう予約いっぱいで明日になります」と。故障したと思うと申し上げても「先客があります」と。”ん〜!”先客は全部故障か?と聞きかけて、「割り込みはいけません」と自戒。

凡そ一時間後、やっと決まったのが21日(月曜日)午後1時から受け付けますと。午後1時には祝島からなので来られないと訴えて3時に受付と決まった。「それまでスマートフォンが使えない」とボヤいても聞こえなかったのか素知らぬ顔の対応者。スマートフォンのデーターが使えないと全くのお手上げ、何も出来ない。明日また出直して来柳かとブツブツ言いながら・・><;)

他の接続業者に変更しようかと柳井の知人に相談したら、もう一軒(店)有るからそこで駄目だったら変更も良いかも〜。さっそく行ってみたら二、三待ち客がいた。躊躇しながら待合席に行き待っていたら、「どういう御用件ですか」と聞かれたので「昨日の夕方から起動しないので電話ができない」と訴えると「それはお困りでしたね」同情してくれた。「アレ先ほどのショップとは違うなと待っていたら、「調べましたら充電の差込口が裂けているようです」。代替品を準備します〜手続きをしましょうと後はトントン・・・。「貴女を飛び込みで2時間ばかり占有してしまいましたね」とねぎらうと、故障して通話できないと言うのは緊急事態ですから優先してさせていただきました。」と、ニッコリ!。で、代替機を23日まで借用して、修理しないで新機と取替えることになり、自分の携帯生活?は通常に戻った。先のショップの指示に従って待っていたら〜と思うとゾッとする。

とりあえず帰島した。昨日からのモヤモヤが取れて、夕暮れ前の散策が心地良かった。













8月18日:晴れ
良いお天気だな〜とノンビリしてたら、急に一転掻き曇りスバエで急雨。せっかく乾いた洗濯物がビッショリ〜。そしたら急に照って来てそのまま乾かしてしまった不始末?。
困ってるのが甲子園の高校生達。”それでもベストを尽くしてる”
緊張の裏返し〜か、笑みを浮かべての態度も見ごたえがありますね。強豪校が敗退したり、大量失点したり、泣いたり笑ったりの悲喜交々、どよめきは甲子園内だけではないだけに今年の甲子園は面白いですね。












8月17日:晴れ
天候が急変するという予報が連日発令されるという不安定な天候が繰り返された盆の大型連休にややうんざりしましたが、雨の災害は防げたようですね。
日差しが強いので、スバエの亜トンでは霧が濃く立ち上ります。マァ祝島では崖崩れの話が起きませんでしたので”ヨシ〜!”としましょう。














8月16日:晴れ
明日17日は亡妻冴子の一周忌の命日。
夏場なので台風襲来への備え、拡散しているコロナへの対応、お盆の帰省など等で、考えすぎてしまって今日という日を選んだのでしたが、肝心の千葉県在住の次男が帰省を断念したので長男と三男だけになってしまった。
でもお天気は上々、静かに冥福を祈った。













8月14日:晴れ
昨日は午後2時過ぎ’竜巻注意報’が発令されてビックリ!。
一転空が掻き曇り・・・・そしてスバエ(突然の雷雨)〜。幸い大雨だけでした。
そして午後8時過ぎから再び集中豪?雨。で、早々に就床。

慌しく一日が過ぎました昨日、今朝は風が流れて細波を誘っていますが雲が優勢です。
あちこちで雨被害が続出、南極の氷が解けたら直さらに集中豪雨が〜、”乞うご期待”とかですがどんな地球に変わるのでしょうか・・・・。

今日の平穏を祈りましょう !。
















8月13日:晴れ
”迎え盆”の朝が来た。
意識して起き出したのではないが、早速に玄関の灯を灯して大急ぎで入り口を開けた。
「お帰り〜」と言ってみた。・・・・・・・
何だか家の中が賑やかになったような気がして、回りを見回した。

二階にいると、今朝は海岸通りでは行き交う人たちの歓声が聞こえたけど今は静かになった。
最近、祝島周辺は台風の接近もほとんど無く平穏無事〜。
以前は田んぼを耕作する家が多かったので、雨よ降れ。。。の合唱があったけど、断水がほとんどないので蛙(カエル)も見かけなくなった。


            

↑  自宅前から東側        ↓ 西側





↑ 西岡村    手前 照満寺




8月13日:晴れ (早朝)
日の出のドラマ














8月11日:晴れ
’いわい’第3便










8月10日:晴れ
早朝ウォーキングのご褒美でしょうか、こんな綺麗な朝が撮れました。




8月08日:晴れ
テレビで繰り返される戦場の残酷さ〜。

赤ん坊の時、丁度その時に泣かなかったから生き永らえたという話。
満州国から帰国の途中、泣き声から敵に居場所を知られるからと赤ん坊におっぱいを押し付けたという悲劇、作り話ではないと、私は泣かなかったから今こうして生きていると言う証言。やり切れないですね。

「上官の命令だ」と非道に走るのが戦争なんだけど、平和の地球はどこかへ行ってしまった。
殺さないと殺されるという世界、血を流して死んでる、手や足が無い死体云々、書くだけで情けないのだけど・・・
書いてるだけで気分が悪くなりました。映画「黒い雨」を見ていて気分が悪くなったコトを思い出しました。

  (興奮してしまったようで、更新送信しないでいました。)
   フト、気づくと蜂が迷い込んでいました。いつもならフマキラー手に追い回すのですが、
   今日は追い出しました。 〜〜;)








今朝、山惣津から雲が次々と流れ出た。

今から77年前の8月14日。私は自宅の前で泳いでた。4歳だった。
サイレンが鳴り響くと、トンボの群れが出てきたと思った。
きょとんとしてたら、母が飛び出してきて「早く上がれ〜」叫ぶ。
なお、突き立っていたら母は着たまま飛び込んで来て私を横抱きにして家に走りこんだ。
光市に有った海軍の光工廠爆撃のグラマン機群だった。
死者は7〜800人、その中に祝島からも学徒動員されていた中一年生代が
30名ばかりいて17名が犠牲になったという。
〜終戦は8月15日〜、一日前の惨劇だった。







8月07日:曇りから晴れ
昨夕帰島しました。
国内ではあちらこちらと豪雨被害続出で”異常気象〜”が声高でしたが、上関町は大丈夫だなと思いつつ帰宅。
二階に上がってみると室内が高温度なのにビックリ?!。
ところがエアコン入れたらなお高くなって〜???。室外機の扇風機が回っていない。???
「エッ・エッ〜」で、コレ対策は明日のコトだと下へ。(二、三日前に大きなカミナリ音がしたけど、腰抜かしてる?かもと〜素人判断!。)

サテ、今朝、恐る恐るにスイッチオンしたら、冷風を送り出して来た。???。
柳井の友人が心配してTELして来たので、「風が出だした」と報告。
指示通り様子見てたら冷風になって〜、「バンザイ!」。只今快適です。 ^0^ ^0^。













8月06日:晴れ
室津の総合文化センター研修室からの眺めです。

手前四階楼(国重要建造物) ・ 奥に常満寺と大イチョウ(山口県天然記念物)




8月05日:晴れ
日没前の室津港・大型の双胴体のヨットが寄港してました。





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